知っていますか?新撰組の“あの剣豪”
新撰組と言えば、大河ドラマにも取り上げられるほど多くの人から知られる、幕末に大活躍した武装組織。
マンガやアニメでも人気がありますよね!
その中の有名な人物として特によく挙げられるのが、「近藤勇」や「土方歳三」、「沖田総司」ではないでしょうか。
局長や副長、組長である彼らは名実ともに偉大な人物ですよね。
でもでも、“あの方”も忘れちゃいけません!
マンガやアニメでも人気がありますよね!
その中の有名な人物として特によく挙げられるのが、「近藤勇」や「土方歳三」、「沖田総司」ではないでしょうか。
局長や副長、組長である彼らは名実ともに偉大な人物ですよね。
でもでも、“あの方”も忘れちゃいけません!
永倉新八
via bakumatsu.org
新撰組内から彼らを見て評価している元・新撰組隊士・阿部十郎(あべじゅうろう)が明治以降に新撰組についての談話を遺している中で、剣の腕前について「1に永倉、2に沖田、3に斎藤」と評していて、実際に腕前を目のあたりし、客観的に語っているので信憑性が高い証言だと思われ、永倉新八は新撰組内最強だったのではと推測できます。
近藤・土方・沖田らが処刑や戦死、病死などで若くしてこの世を去る中、
最強の武士であった永倉は数々の死闘を潜り抜け、77歳まで生涯を全うしました。
大正4年に死した永倉は、当時で言えばものすごく長生きをしているんです。
そして、やはり剣術の賜物なんでしょうか、
身体に残った傷は7つしかなかったと本人が自慢げに話していたほど、
彼の前に敵う者などいなかったみたいですね。
最強の武士であった永倉は数々の死闘を潜り抜け、77歳まで生涯を全うしました。
大正4年に死した永倉は、当時で言えばものすごく長生きをしているんです。
そして、やはり剣術の賜物なんでしょうか、
身体に残った傷は7つしかなかったと本人が自慢げに話していたほど、
彼の前に敵う者などいなかったみたいですね。
新撰組最強だった永倉の死因とは…?
先程もご紹介したように、永倉は大正4年で生涯を終えています。
新撰組はとうに解散していますから、彼の場合、戦死ではありません。
そして、事故死や衰弱死でもなく、永倉の死因は「病死」でした。
しかし、沖田のように持病が悪化してというわけではありません。
永倉を襲った病気は後天的なものですが、その病気の原因こそに驚かされます…!
新撰組はとうに解散していますから、彼の場合、戦死ではありません。
そして、事故死や衰弱死でもなく、永倉の死因は「病死」でした。
しかし、沖田のように持病が悪化してというわけではありません。
永倉を襲った病気は後天的なものですが、その病気の原因こそに驚かされます…!
大正4年(1915年)、虫歯を原因とする骨膜炎、敗血症により死去。
…ん?
えっ…、ええええええ!!!(゚Д゚;)
えっ…、ええええええ!!!(゚Д゚;)
ある奥歯のむし歯がひどくそれを放置していたらしいのですが、
むし歯のばい菌の一部が顎の骨に感染し、それが全身に影響して敗血症で亡くなったとか!!
幕末を見事に生き抜いたっていうのに虫歯1本で…
「刃」では勝っても「歯」には負けたということでしょうか…
「刃」では勝っても「歯」には負けたということでしょうか…
知名度としては近藤や土方らほどではなかったとしても、
その剣豪っぷりは新撰組でも随一と言われていたらしい…!